表現のアクセントにはなっていたけど、必然ではないというのが正直なところ。
肝心の物語。
これは、上手いです。本当に上手い。
ドラえもんがのび太の元に来るところから、物語が始まりました。とうぜん、セワシも一緒。
私にとっては予想外。
ドラえもんワールドが既に完成しているところから、始まると思っていたからです。
その後は、共感を誘う場面、ひみつ道具が次から次へと展開、登場します。
場面場面、私は確かに漫画で読んだことのあるもの。
ひみつ道具も、それぞれどんな働きで正しい使い方、(のび太の)間違った使い方を知っているもの。
それらを上手く組み合わせて、紡いでいきます。
ひみつ道具がいちいちリアリティを増していたり、3Dで再構成されたドラえもんやのび太といった人物や野比家宅や町並みに違和感はありませんでいた。
人間はともかく、ドラえもんは秀逸でした(あとスネ夫の髪型も)。
のび太は母親似なんだなあとか、しずかちゃんはお父さん似ではないんだなあとか。
漫画を読んでいた頃とは違い、私自身はのび太よりも大きな子供を身になりました。
当時よりも、のび太の行動や考えに共感、理解するようになったと思います。
たぶん、自分の体験に加えて、KODOMOを育てる過程で追体験のようなことを経たからでしょうね。
のび太としずかちゃんの結婚式前夜の場面で、星野スミレちゃんのイベント告知が背景にありちょっと嬉しかったです。
あとは、20代半ばでも「プンッ」と口に出しちゃうしずかさんに萌えたり、出来杉くんはいつまでもイケメンだったり。
TOYOTAやPanasonic、MORIのタイアップ広告を確認しました。
あとはキテレツ大百科好きの私としては、KOROSUKEのネオンもツボでした。
と言うことで、概ね満足できました。
が、あのプログラム、何? 必要?
ネコ型ロボットであるドラえもんを強制的に動かすプログラム。
無理矢理、のび太を幸せにするように達成目標を設定し、達成したら即刻帰還させるプログラム。
この映画に仕組まれた、感動強制装置。
ドラえもんだったらもっとポジティブに「仕方がないなあ」とセワシの頼みをきくと思うんですよね。
原作にはない、このプログラム(呪い?)を組み込んだ意図はどこにあるんでしょうね。
ここさえなければ、もっと素直に「よかった」と言えたと思います。
追記(2014/08/14 22:15)
監督のインタビュー記事を見つけたので、読みました。
考案した山崎監督は「ドラえもんの葛藤がしっかりと描けるし、のび太との出会いと別れを効果的に表現できる。最初はドラえもんがのび太と一緒に暮らすことを嫌がり、友情を育んだ後半はのび太と別れたくないのに未来へ帰らねばならなくなる。便利な装置でしょう」と狙いを説明した。
ドラえもんに対する捉え方が根本的に異なることが分りました。
「すてきな未来が来るんだぜ」と言う 映画「STAND BY ME ドラえもん」 山崎貴、八木竜一共同監督インタビュー