父の手本は父しかない
と思いました。
たとえその手本が、良かろうと悪かろうと。
私は大学入学まで家族全員(核家族)と過ごしていました。
その間、親からの暴力が常態化していたとか、必要な食べ物のさえ得られなかった、ということはなく、おそらく一般的な環境で育てられたと思います。
父はパソコンとパチンコが好きで(なぜかパつながり)、お酒は飲むけれども強くありませんでした。
パソコンが好きなのでMZやX1など当時の同級生では持っていないようなものが、家にはあり遊んでいました。そのせいか、ファミコンの購入は遅いほうでした。
手先が器用なのでしょう。
小学校の冬休みの課題だった、凧作りはよく手伝ってもらいました(映画でも挿話がありましたね)。
ラジコンカーブームの時には、二台一緒に揃え、二人で河原に走らせに行ったこともよくありました。
モーターやサスペンションを変えたりしたものです。
ガンプラも一緒に作りました。当時の私は、ガンダムを見たことはなかったけれど。
そういえば自転車のパンク修理は父の役目でした。長じるにつれて私の役割に変っていきましたが。
こうやって振り返ると、私の趣味は父と似ています。
パチンコはやらないけれども、パソコンやゲームは続けているし、思い出したかのようにガンプラを作っています。
自転車のパンク修理は自分でやるものだと、今でも思っています(実際にやっています)。
父と遊んでいたのですから、当たり前ですよね。
母といる時間のほうがはるかに長かったのに、不思議なものです。
やはり同性ということが大きいのでしょう。
高校生くらいのときかな?
ある時、父に言われたことがあります。
自分は男親だから男の子の考えること、やることは大体理解できる。
反対に、女の子のことはわからないので、すべてが不安だ。
この頃、いわゆる反抗期だったんですよね。
母に心配をかけるなということを言いたかったんだと思います。
そして、私も(幸運なことに)結婚し、KODOMOできました。
それなりに子育てもし、映画で描かれた状況よりも大きく育っています。
そのKODOMOにとって、今の自分はどううつっているんだろうか?
映画を観終えたあとの、一番の感想です。
感想というとおかしいですが、自分はちゃんとした父になっているのだろうかという漠然とした不安です。
多分、今、KODOMOに「お父さんのこと、好き?」と聞いたら「好き」と答えるだろうし、自分が生きていくにはまだ両親が必要だということもすでに分かっているので「必要だよ」と答えると思います。
でも、そういった表層部分を取っ払ったらどうなるか?
基本的にKODOMOを叩いたりはしていないけど、知らずのうちに言葉の暴力を与えているのではないか?
もっと一緒に遊んでほしいのに遊んでくれないと思っていたり、反対に過干渉になっていないか?
疑問や不安は次から次へと浮かんできます。
でも、もしかしたら、私の父もそう考えていたのかもしれない。
KODOMOが表面的に友達の父と接することはあっても、それはあくまで友達の父。
自分の父が一番だと考えているかもしれない。
結局、自分なりの父を模索する日々が続いていくんでしょう。
父性も母性も育まれるのもの。
家族はその全員で時間とともに作られるもの。
KODOMOにとって、その時その時に必要な父でありたいと思います。