カンヌで受賞したからではなく、福山雅治主演だから見ようと思っていた作品です。
言い訳めいているけどね。
シンガーソングライターとしての福山雅治に最初に出会ったので、なんとなく俳優業は副のイメージを持っています。
副次的にできるものではないし、出演している作品をみてもわかっています。
でも決して演技派ではないし、どの役も「福山雅治」っぽくなっている気がしていました。
でも、この作品では野々宮良多でした。
息子に自分と同じものを求め、自分が出来なかったことを求め、叶わないことに苛立ちを覚える父としての良多。
その叶わない部分を認め難く、突然降りかかった事件に
やっぱり
と腑に落ちる父。
この言葉が出た時、劇中ではさらりと流されました。
私自身は「そんな事を言うのか?」「流してしまうのか?」と、強い違和感が生じました。
でも、それはちゃんと後の場面で取り上げられました。所謂、伏線というやつですね。
その回収っぷりは、衝撃でした。
母親である野々宮みどりの思いが、とても乗っている場面でした。
伏線といえば、良多が育ての子、に自分のカメラをあげようとして断られ肩を落とすものの、それを知った時の涙。
負け知らずの野々宮として、斎木家に「二人まとめて育てます」と言い切ったのちに、同じ言葉を斎木ゆかりに突きつけられる場面。
この二つも秀逸でした。
「育てられた(時間)」優しさ故に、自分の考えを強く出せない慶多。
「生来(血)」の頑固さで、なぜを繰り返す琉晴。
この対比が見事で、それ故の父の戸惑いが印象的でした。
父のお手本って、自分の父だけなんですよね(いないというのも含めて)。
自分が見てきた父の背中を受け入れるか否定するか。
自分が父になるのは、そういうことじゃないのかな。
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