昔、思いました。
これは偽善ではないか?
と。
それは災害などが起きた時など義援金や各種募金。
偏った考えだけど、一つに義援金なり募金なりしたら、全てにしないと「選んでる」と言う事になりはしないか?
「出来る範囲で行う」という考えもできるけど、私個人は前者の考えに至るわけです。
そんな事を考え、自問自答した結果に出た答えは、全てにお金を出せないなら、一切お金を出さないということです。
もう十何年、その意志を貫いてきました。
阪神淡路大震災をはじめ、国内外の数々の災害に、主義としてお金も労力も出してきませんでいした。
でも、今回の東北地方太平洋地震に関しては、別です。
なぜなら、仙台で両親が被災したから。
今のところ、両親に怪我はなく、ライフラインは途絶えているものの自宅も無事のようです。
本心は、両親にピンポイントで補給を送りたいところだけど、それが出来ない現状。
だから、すこしでも両親の助けになるのなら、コンビニで義援金を入れてこようと思う。
偽善?
それでも良い。
私は自分と自分の肉親、知り合いが助かるなら、それで良い。
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